アンドレイ・タルコフスキー「ストーカー」 

7年前に友達からタルコフスキーの「ストーカー」を借りて観た。
その時の記憶で残っていたのは、ゾーンに向かう3人のやたら長い列車のシーンと、子供が超能力でグラスを動かすシーンだけだった。

久しぶりに「ストーカー」を観なおした。
全く違った感覚で感じられ、驚いた。



「ゾーン」とは何か。

得体の知れないエリア。

「ゾーン」の案内人は、ストーカーと呼ばれる。

最終的にたどり着く場所は「部屋」。

この映画では、ストーカーに案内されて2人が「ゾーン」に踏み込んだ。
一人は科学者、もう一人は小説家。
理系と文系。
「ゾーン」に入ると、目の前に建物が見える。そこに「部屋」があるわけだが、直線では進めない。
小説家がストーカーに注意されたが、まっすぐに進もうとする。
しかし、そこで声が聞こえる。

まっすぐには進めないのだ。
不可思議な場所で、後戻りもできない。
同じ道は二度と現れないし、同じ経験もない。

タルコフスキーの映画には、「水」が多く現れる。

水の流れる音と映像が美しい。

私は、タルコフスキーの映画では、「鏡」と「ソラリス」が好きである。
どちらも美しいと私には思えるからだ。
映像的にも、静止画としても、音としても・・・。

美しさと思考・意識などのキーワードに惹かれるのかもしれない。

「ゾーン」は、私が約20数年間、考え、経験してきた場所と同じだと感じた。

「部屋」に入ると、その人間が最も欲するものが満たされるという。
ただ、その部屋は望みを満たす場所なわけだが、「最も望んでいること」が何であるのかが、その時点でわかっている人はいないのかもしれない。
定義があるとすれば、「無意識で望んでいるもの」が満たされるとでも言おうか。
無意識下の思考など、ましてや一番の望みなどわかるはずがない。
満たされて初めて自分の望んでいたことがわかるのかもしれない。

ストーカーはかつて部屋に入ったことのある人の話をし始める。
部屋に入り、現実世界に戻った後、彼は自殺したという話を。
現実世界で金持ちになり、その数週間後自殺したと。

実は、自分が本当に望んでいることなど、怖くて知りたくもないのかもしれない。
無意識下の自分の情熱を見たいのか、知りたいのか。
満たされたいのか。
満たされた後はどうするのか。

小説家はストーカーを偽善者だという。
科学者はゾーンを破壊しようと爆弾を取り出す。
ストーカーは「絶望に満ちたこの世界で、ゾーンは希望だ」と話す。

結局、二人は部屋には入らずに、現実世界に戻る。

ストーカーの妻が語りだす。
「不幸があるから幸せも感じられる」と。
二元論を持ち出す。
現実的な感覚だ。

「ゾーン」はあいまいな場所だ。
意識の泉のようだ。
「ゾーン」はまた恐ろしい場所でもある。

「ゾーン」は私も破壊したくはない。
希望として残しておきたい。
私にとっては地球という場所に似ている気がする。

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